ハロヲタ備忘録として書き残しておく

工藤さんの卒業についてあれこれ考えるとやっぱり今なんだよなぁって話

2017年4月29日、京都での昼公演にて工藤さんがモーニング娘。及びハロープロジェクトを卒業することが発表されました。

どう見えてるかわからないけどこれでもずっと工藤ヲタだったのでね。

数日経って考えてみた結果いろんな思いが溢れ出るので徒然と書いていこうと思います。無駄に長いよ!

 

発表されたそのとき私は何も知らずに会場近くの平安神宮でのんきに工藤さんのこれからの活躍を願っていました。スヤスヤと。

会場の前に戻りツイッターを見てその報せを知り、「まじか」と呟いた。私の前で地面に泣き崩れている女の子達がいた。工藤女ヲタさんたちがみんなで抱き合って泣いていた。会場前がざわざわしていた。

卒業を聞いた直後、率直に思ったことを言うと「ついにきたか」でした。

ヲタクと話すとき、度々卒業の話になる。推しの卒業、次に卒業するのは誰か、時期はいつか。そんな話をしているとき、私はいつも「工藤は女優になりたいって言って割りとすぐ卒業すると思いますよ」と言っていた。卒業後の次のビジョンが一番明確に見えているのは工藤だと思っていたからそれは本心だった。まぁいつ卒業がくるかわからないから常に覚悟しとけよっていう予防線、防衛本能の意味も含まれていたと思う。そう思いつつもどこかで工藤がリーダーの娘。を見たいとも願っていた。現実的思考と希望的観測。それはどちらも持ち合わせていて。だから卒業すると聞いたとき、少しの驚きと少しの残念がありつつも「そうか、今か」という納得が大半だった。「彼女の中では今だったか」と。

 

工藤さんの卒業について、早いという意見も見られた。でも私は早いとは思わなかった。この違いについて自分なりに考えてみました。こう思うことで自分の中の感情を処理し納得させようとしてるだけなのかもしれないので、まあヲタクが勝手なこと言ってんなって流してください。

たぶん、早いと思うのは“モーニング娘。工藤遥”として見ているからじゃないかなと。

歌割も少しずつ着実に増えていき、ダンス部に加入したりしてダンスポジションでも前に出てきて、13期の教育係になって、今年で18歳になるから仕事の幅も広がって、ここからハルちゃんの時代が始まっていく―――。だから今このタイミングでの卒業は早い。そう考えると早いと思うのは当たり前だと思うし、そういう視点だと私も早いと思う。モーニング娘。工藤遥を見ているんだからそう思って当然と言えば当然ですよね。

では芸能人・女優としての“工藤遥”として見た場合はどうか。

工藤さんが常々やりたいと言っていた学園ドラマ。主役はやはり10代の女優さんが多い。もちろん、20代でもやれないことはない。真野ちゃんだって20歳過ぎてからだった。でも周りはどうしたって若い。そして俳優業を主とした事務所の子たちに囲まれる。その子達はきっと演技の経験も積んでいる。数年後モーニング娘。として活動し22歳くらいで卒業したとしていきなり学園モノのドラマに出られるだろうか。

アップフロントは音楽事務所である。興行をメインとしたアイドル活動。年に一度舞台をやるけれど、どうしたって演技に関する経験値は少ない。

20歳を過ぎて学園ドラマに出て、一人だけ浮いてるような演技レベル。そんな姿はあまり見たくない。浮いていなければいいけれど、今の娘。の活動のままでそういう演技が出来るようになるのか。舞台演技とドラマ演技は違うだろうし。

前に真野ちゃんがハローにいるとスケジュールやアイドルという制約で出来ないことがあるから卒業して女優としてやっていこうと思った、みたいなことを言っていた気がする。(明確なソースがぽんと出せないので違っていたらすみません。)

毎年春と秋は単独のコンサートが30公演近くあって、冬と夏は合同のハロコンがあって、3月はひなフェス、6月には舞台、その他には握手会やリリースイベントが詰め込まれる。テレビラジオや雑誌取材、写真集撮影だとか書き物だってある。こんな状況で民放のドラマに出るのはやはりスケジュール的に厳しいように思う。いい意味でも悪い意味でもルーティンがアップフロントの特徴。そのスケジューリングで一人だけ長時間拘束の外部仕事の時間を割けるかって言われると微妙だと思う。外部からオファーが来たらそういうスケジュールも組んでもらえるかもしれないけれど、仕事じゃなく演技レッスンとしての時間は割けるのか。やはり微妙だと思う。

『演技をしたい』そういう気持ちを一人抱えたままでみんなと過ごすのは失礼だと工藤さんは言った。工藤さんらしいなぁと思う。

だったら卒業して女優一本として頑張りたい。彼女がそう思っても不思議ではないように思えるんだ。

 

やるからには女優工藤遥として活躍してほしいと思う。

だからこそ、工藤さんには外に出ていろいろ揉まれて壁にぶち当たって一度挫けてほしいと思う。

今の娘。メンで一番舞台に出ているのは工藤さんだし、主役級の役もたくさんしている。いろんな方に褒められて、自信もあると思う。

でもそれはあくまでもモーニング娘。ハロプロという箱庭の世界での話。

学園ドラマだとか、朝ドラだとかを目指したいというにはまだまだ課題は多い。滑舌や発声も成長していかなきゃいけないと思う。外の世界に出て、自分の実力を知って、そしてそこから這い上がってほしい。そしてそれはきっと若い今、早いに越したことはないと思う。若さゆえの力っていうのもあるだろうし。

今ほど歌割もなく後列で踊っている頃、毎年6月になると輝く人だと言われたこともあった。毎年ブログで役作りで悩んでることを吐露してくれた。壁にぶつかって考えて悩んでその世界を作りあげたときの達成感とかが好きなんだろうなって思ってた。

外に出て壁にぶつかって這いあがって経験を積んで。そうこうしてる内に年は重ねる。そう考えると17歳18歳での卒業の選択は決して早いとは思わない。

 

学校として例えるなら、

小学4年生の終わりにハロプロ学園へ編入し、

小学6年生のとき進学テストに合格しモーニング娘。というクラスに行き中高を過ごし、

高校3年生で次の夢を見つけそのまま内部進学ではなく外部の大学へ進学する。

そう考えるとやはりこの年齢での決断も早いことはないと思うんだ。上手い例えではないけれど。

2010年3月27日にハロプロエッグとしてお披露目されアイドルとしての活動を始めて、2011年9月29日にモーニング娘。に10期メンバーとして加入して。アイドルとしては7年以上やっている。10代の女の子にとっての7年って長い。私達ヲタクはアイドルとしての彼女たちを趣味として楽しむ。でも彼女たちはアイドルという仕事として人生として毎日を過ごしている。濃度がやっぱり違うと思う。短いなんて言えるわけがない。

 

今回の卒業発表に関して、ツイッターで「卒業を取り消してほしい」そんな発言もちょっと見た。もちろん寂しさからくる逃避の言葉だとは思う。

けど、17歳の女の子が一人一生懸命考えて悩んで出した自分の人生、夢への一歩の結論をファンである人が無碍にしないでほしい。

寂しい気持ちはわかる。私だって寂しい。でもその答えを否定するのは違うと思う。

受け入れられないなら受け入れられないでいい。

でも卒業は決まってしまった。時間は無慈悲に過ぎていく。嫌だ嫌だと言っている間にも工藤さんは前を向いて進んでいく。

何かを覚悟した人の目は強くキラキラと輝く。それを何度も見てきている。だから私はその瞬間の推しの姿を逃したくない。寂しいという気持ちに囚われて彼女を真っ直ぐ見れないのは嫌だ。もったいない。

 

今の環境って工藤さんにとってすごく居心地のいい環境だと思うのね。先輩からかわいがってもらって、一緒に笑い涙出来る同期がいて、慕ってくれるたくさんの後輩たちがいて。

でも夢のためにそこから旅立つことを決意できる工藤さんは強いと思う。

 

コンサート中、くっしゃくしゃに笑いながらメンバーとアイコンタクトを取る姿が好きだ。カメラ目線で決めてる姿も誰よりも楽しそうにジャンプする姿も汗だくで歌って踊る姿が好きだ。

京都での夜公演、そんなハルちゃんの姿を見ながら私は泣いてしまった。

それが見れなくなるのは寂しい。ただただ寂しい。だから泣いた。

モーニング娘。工藤遥が見れなくなるのは寂しい。あと何日、あと何回モーニング娘。工藤遥が見られるのかはまだわからないけれど、精一杯目に焼き付けたいと思う。

 

思うことはたくさんあって、でも書きたいことがまとまらなくてこんな文章になってしまいました。

まぁつまりは『仕方のないことは仕方のないこととして受け入れるのがドリューの主義よ』というハム恵ことドリューの言葉通り、卒業は決まったのだからあとは楽しむだけですよって話です、はい。