ハロヲタ備忘録として書き残しておく

℃-uteが解散する前に書いておく

ついにこの日が来てしまった。
今日、2017年6月12日をもって℃-ute解散する。
2005年6月11日に生まれ、12年と1日。12年って。
2002年6月30日にキッズオーディションに合格してから15年。15年って。
人生の、青春と呼ばれる時間を、アイドルとして費やしてくれた。感謝しかない。

私が℃-uteヲタをやっていたのは、2007年~2010年頃だ。当時、娘。ヲタだった私は8期や留学生、吉澤卒業&藤本脱退という怒濤の流れにどこか疲れていた。そんなときハマっていったのがデビューして間もない℃-uteだった。
キッズオーデ当時、私は初めて年下の子達がハロプロに入ったことが嬉しかった。ネットなども見ていない小学生だったので、キッズという子供たちに対して批判や拒否反応があることも知らなかった。ただただ年が近い子達が入ったことが嬉しく、年下の女の子達をかわいらしいなぁと見ていた。
映画も観たし、がんばっちゃえ!のシングルVを買い、何度も見てパッケージの裏の顔写真と名前を一生懸命覚えた。ZYXもあぁ!もCDを買った。単純に曲が好きだったってのもあるけれど。
その後Berryz工房が結成された。当初はスターティングメンバーなどと説明されていたが結局入れ替わったりするなんてことはなかった。残されたキッズたちは非ベリなどと呼ばれながらハロコンに出たりしていた。H.Pオールスターズでうたばんに出た際は、中島ちゃんが目立ったりもした。
そんな活動ののち℃-uteという名前、グループが誕生した。体温情熱を表すために温度の℃と言われてもな、あとなんで発音変えるんだろ、なんて思ったりもしたけれど。よかったねぇ、なんて親戚のおばちゃんみたいな感じだった。
オリジナル曲なくてベリの曲を歌ったり、初めてオリジナル曲をもらったり、エッグから栞菜が加入したり、インディーズとしてCDをリリースしたり、大もてがきらりちゃんのEDになったり、ハロモニ。で貴理子さんや長山洋子さんに突撃したり、シングルより先にDVDでメジャーデビューだったり、ハロプロアワーで先輩とトークやソロで歌ったり、そういうのを見てきて、あぁ℃-uteってかわいいなぁなんて思ってたらめぐが脱退してしまった。つらかった。でも誰よりもつらかったのはメンバーだったろうなって。メジャーデビュー前にエースを失うなんて。そんな彼女たちが翌年無事にメジャーデビューして嬉しかった。よかったねぇってまた私の中の親戚のおばちゃんが出てきてた。
そう、ここまではどこか俯瞰で見てた。
そのわずか1ヶ月後、2007年冬ハロコンのDVD BOXを見た私はそのとき初めて「あ、かっこいい」と思った。ベリと℃-ute友情 純情 oh 青春という曲を歌ったのだけど、そのとき客を煽るメンバーたちを見てかっこいいなと思ったのだ。今まで見てきたつもりだったけど、いつの間にこんなに成長してたんだろう、って。どこかで「年下の子供たち」という意識があった私を置いて彼女たちは成長して「アイドル」になっていた。
そこからは早かった。前述の通りどこかふらついていた私の心は完全に℃-uteに捕まってしまった。映像を漁り、DVDを買い、どっぷりずっぷり。 JUMPという曲を聴いて「負けなんて認めない 私が決めるから 最後は絶対笑ってやる」という歌詞でメジャーデビューまでの道程を重ね泣くようになった。℃ヲタの完成である。
ありがたいことにその年、℃-uteは日本全国を回ってくれた。地元福岡にもいっぱい来てくれた。桜チラリは行けなかったけれど、めぐる恋の季節都会っ子純情のリリイベ、放課後のエッセンスにも行った。現場の楽しさを知り始めた頃だった私はどんどんハマっていく。都会っ子でレコ大最優秀新人賞を取ったとき、まぁボロ泣きですよ。紅白が決まったとき、まぁボロ泣きですよ。
キラキラした彼女たちを追いかけて、思い出が増え、心がどんどん潤っていく。そんな日々が重なって時は流れていった。
しかし2009年、私の推しは脱退してしまった。あまりにもショックでそのときドライブデートをしていたのだけど引き返してもらった。しばらく音信不通になった。彼には私の心の穴は埋められないと振ってしまった。7人の℃-uteは6人になった。
そして推しの脱退を和らげるように見つけた次の推しはその数ヵ月後卒業してしまった。最後を見届けようと人生で初めて遠征をした。NHK大阪ホールで見た彼女たちの笑顔と涙は忘れたくないと思う。6人の℃-uteは5人になった。
二人の推しを失っても、℃-uteが福岡に来てくれれば私は現場に行った。ただ、あの頃の福岡での℃-uteの客入りは正直良くはなかった。ハロプロ全体の空気もあるけれど、Zepp FUKUOKAは椅子を出して椅子ゼッパーなんて言われたりもしてた。それでも5人になった彼女たちは笑顔で歌い踊ってくれた。
ただ私は2010年頃に、より好きになってしまったスマや娘。に流れて、℃-uteをメインにヲタクをすることはなくなってしまった。℃-uteもしばらく福岡に来ることはなかった。
しかし、℃-uteは着実に力を着け、人気を集めていった。
2013年、℃-uteが久しぶりに福岡でイベントをやった。キャナルシティで行われた会いたい会いたい会いたいなのリリースイベントにはたくさんの人がいた。いつの間にこんなに増えてたんだという驚きがあった。そしてその年末、再び℃-uteZepp FUKUOKAでライブを行った。3、4年前は椅子ゼッパーと呼ばれていたとは思えない満員の客入りだった。あぁ、℃-uteの人気はすごいなと実感した。そして報われてよかったと思った。彼女たちが諦めないで走り続けてきた結果なんだなと。
その後も彼女たちはずっと走り続けて、ファンを増やし、アイドルが憧れるアイドルと呼ばれるようにもなった。
そして去年、解散することが発表された。
元℃ヲタでしかないけれど、その発表はただ寂しかった。追いかけた時間、それは私にとっても青春だったから、℃-uteが終わることは私の青春も終わってしまうことのような気がして寂しかった。
℃-uteはおばあちゃんになってもずっとそこにあるものだとどこかで思っていた。ずっと5人が笑いあって歌ってくれるものだと。
でもそんなことはないのだ。始まりがあれば終わりがあって、℃-uteにとっての終わりを彼女たちは選択した。
15年間、アイドルとして活動してくれたこと。
12年間、℃-uteでいてくれたこと。
私は全部を見てきたわけではないけれど、たくさんの思い出をくれた。
今日、℃-ute解散する。
私はこの青春に悔いのないよう、5人の姿をめいっぱい目に焼き付け、ありがとうを伝えようと思う。