ハロヲタ備忘録として書き残しておく

ネガポジポジを観たヲタクの感想垂れ流し

ネガポジポジという舞台をご存知でしょうか。

つばきファクトリーハロプロ研修生が2016年に行った舞台です。

知り合いのつばきヲタクたちが「ネガポジポジはいいぞ」としきりにいっており、気になっていた舞台。先日ヲタク仲間たちと某ホテルに泊まり推し会というものをしたのですがその時にDVDを持ってきてくれてついに観ることになりました。

散々くだらない話をし、つばきのMVを見倒したあとの深夜3時頃から観ることになったネガポジポジ。

 

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あのコの前で、わたしはわたしを偽っている。

わたしの前で、あのコはあのコを偽っている。

ネガポジポジポジネガポジポジ‥

あの日、あのコが現れるまで、わたしたちは友達ではなかった。

 

ニッポン中が「バブル景気」に沸き立っていたあの時代から、未来の扉が見えなかった世紀末にかけて、彼女たちのいびつな成長や衰退を、「家族」のいる場所から綴っていくヘンテコオペレッタ

その名も「ネガポジポジ」

 

フライヤーのビジュアルを見るだけで伝わるアクの強さ。そんな舞台を仕事終わり遊んだあとの深夜から見るという。

結果的に言うと、すごくよかった。どれくらいよかったかというと推し会から帰ってきて通販でDVDをポチるくらいにはよかった。

この舞台は良い意味でも悪い意味でも観る人を選ぶ舞台だなと思った。ハマる人はとことんハマる。私みたいに。感覚としては『ゲキハロ』みたいだなぁと。モーニングさんたちが近年やっているような舞台とはちょっと異なる。小劇団のような演出たちだなと。私はどちらかというとゲキハロを観て育った世代なので世界に入りやすかったのかもしれない。すごくいい意味で「あぁ、劇だなぁ」と思う。

あとめちゃくちゃ歌を歌う。台詞や心情がメロディーに乗る。でもそれは歌という単体で聴くものではなく、台詞や心情として物語の中で歌われる。聴くではないような歌たち。それがまたこの舞台に合っていると思った。伝わりにくいか。

ヘンテコオペレッタという言葉がまさにこの舞台を表していると思う。

アンサンブルがめちゃくちゃ出てくるこの舞台。当時研修生に入ってすぐの川村文乃ちゃんと横山玲奈ちゃんもアンサンブルで出ています。文乃ちゃんのスタイルおばけっぷりと横ちゃんの笑顔っぷりは最高です。アンサンブルは影であり感情であり重要な一部。その子達がセットを動かし世界を作る。ABCのパターンで配役が変わる主役キャストたちがその中で生きていく。80年代後半の色味というか、世の空気というか。生々しいほどの女のコの友情の感情。バブルという時代に生きざるを得なかった二人の女の子のぶつかり合い。由美がしようとしたある事件をきっかけに少しずつ変わっていくりさの気持ち。

私が最初に観たのはCパターンでした。りさは小片リサ、由美は浅倉樹々。三女の舞は小野琴巳、四女のるみは西田汐里。

三女のおのことちゃんのテンションがツボだったな。真ん中っ子特有のローな感じというか。全然痛くなさそうな「あ、いたーい」そして四女の西田が良い。当時研修生に入ったばかりとは思えない堂々とした感じ。めちゃくちゃ歌えてるところもすごいけど、ゲキハロ時代の佳林ちゃんのような小生意気なちゃきちゃきっぷりなしゃべり方がとても良い。

りさという女の子は卑屈ででも変なところで前向き。ネガポジ。それを小片さんが演じているんですが、こんな姿初めて見たっていう新鮮さがある。若さなのかパワーがある。それが時代と相まっている。

由美はお洒落でお金持ちの女の子。バブルという時代に振り回された素直になれない女の子。樹々ちゃんが小片さんとぶつかるシーンがとても迫力あるものになっている。

この舞台はトリプルキャストで3パターンあり、配役が変わる。メンバーによって解釈が代わり、演技も変わり、印象も変わる。私が観たCパターンは「強かった」。言い合いをするシーンだけでなく相手への想いを秘めているときですら感情が強かった。そこからラストへの全力に繋がると思うと飯が美味かった(百合的な意味で)。

ここからはネタバレを含みながら感想や考察まがいを書いていきます。

 

 

まず結果的に言うと、百合じゃん

物語は由美が高校の同級生の家であったりさの家に泊まりにくることから始まる。劇中明かされることはないが、由美の父親の職業が不動産、バブルという背景、りさの母への花束と札束の贈り物から地上げをしようとしていたこと、そして由美が持ってきていた大量の油と新聞紙たちから由美は放火をしようとしていたことがわかる。りさに見つかり放火は未遂に終わるものの由美は姿をくらましてしまう。りさは何故由美が家に火をつけようとしたのかを一生懸命考える。考えるけど答えは出ないまま3年の月日が流れてしまう。3年後再び現れた由美はみすぼらしい格好で、憧れていたあの頃の由美ちゃんではなかった。…とまぁ、こんな感じでお話は進むんですけど、りさは由美が放火しようとしたことを誰にも言わなかったんですよね。3年後再び由美が万田家に現れた際、姉妹たちは由美を歓迎し、あの日は変だったねと由美が消えた失踪を知らないままの会話をしている。普通、放火未遂を起こされたらそれは事件で警察に連絡するし、家族にも伝える。でもりさはそうしなかった。誰にも話さず一人で由美の行動を考えていた。そこでなんでだろうってりさの心情を考えると捗ります。最初りさは由美ちゃんはお金持ちでお洒落で…卑屈な自分と比べていた。嫉妬と羨望の対象だった。その感情が由美のことを考えれば考えるほど変化していくんですよね。りさはポジティブに捉えようとする。「由美ちゃんは私と友達になりたかったんだ」と。りさは由美が羨ましかったし、由美はりさが羨ましい。うわべだけで本音が言えない付き合いをしていた二人はなかなか自分の気持ちが言えない。言えないからこそどんどん拗らせていく。なんでこんな気持ちなのか。なんでこんなに固執するのか。忘れることなくずっと思っていた思いが、物語の最後、再び由美が現れた3年後に爆発する。そりゃ私も「あああああああ、百合ですこれは百合ですわーーーーーーーーーーー」って叫びます。

感情をさらけ出し、ぶつかり合うシーンは惹き込まれる。どうしてなんで。どうして由美ちゃんは私の前に現れるの。なんでりさちゃんは私にこだわるの。答えが欲しい。自信が欲しい。二人の関係に確信が欲しい。

この物語には正解がない。逆に言えば答えはいくつもある。受け取り手の自由だ。どうしてって思って考えて出した解釈が正解だ。考えれば考えるほど楽しい舞台。

こたつに入る由美とりさの姿、3パターンとも全然違うので全部見てってなります。

最後はこの言葉で締めさせてもらいますね。ネガポジポジはいいぞ